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こんにちは!SONAEAREBAです。
今日は「江戸時代の大地震で
事前避難が行われていた可能性」と、
その最新研究ニュースが、
これからの南海トラフ地震対策に
どうつながるのかを、私なりの視点で
整理してお伝えします。
江戸時代にも「事前避難」文化があった?
まずキーになるのが、
日向灘で起きた
「外所(とんところ)地震」です。
寛文2年(1662年)に
現在の宮崎県沿岸を津波が襲い、
藩内に甚大な被害をもたらしたと
されています。
ところが、規模のわりに死者は
飫肥藩で15人程度と推定されており、
「なぜこんなに少ないのか?」
という点が以前から謎でした。
この疑問に挑んだのが、
宮崎公立大学の山下裕亮准教授です。
山下准教授は、歴史資料を丹念に
読み解きながら、「江戸時代にすでに
“事前避難”が行われていたのではないか」
という仮説にたどり着きました。
幕末儒学者・安井息軒「家系図」の衝撃
研究の決定打になったのが、幕末の
儒学者・安井息軒(やすいそっけん)
の家系に伝わる家系図です。
安井息軒は宮崎市清武町出身で、
その一族に残された家系図の一節に、
外所地震当時の避難行動が
具体的に書かれていました。
家系図には、「寛文2年9月19日夜より
大きな地震があった」という記述があり、
その夜、内海にいた先祖の妻の母親が
「山の上に避難していた」最中に
出産した、というエピソードが
残されています。
この「山の上で出産」というインパクトの
ある描写から、当時すでに津波を恐れて
高台に移動していたことがうかがえます。
さらに、地名「鯛取淵」などの痕跡から、
この地域には実際に津波が押し寄せていた
と判断できるとされています。
ここで重要なのは、
9月19日の夜に大きな揺れ(前震)が
あったと読める点です。
山下准教授は「前夜の前震をきっかけに、
住民が本震と津波に先立って避難していた
可能性が高い」と推察し、
死者の少なさとの整合性を示しました。
参考リンク:
yahooニュース 2025/10/31(金) 10:21配信
外所地震に前震か 息軒家系図記述で推察
山下准教授(宮崎公立大)ら研究
最新論文が伝える「歴史資料×減災」の力
この研究成果は、
日本地震学会の学術誌に論文として
掲載されています。
江戸時代の家系図という一見
“家庭内資料”のような文書が、
大地震と津波被害の実態、
そして避難行動を示す一次史料として評価
された点が非常におもしろいところです。
類似の取り組みは他地域でも進んでおり、
たとえば東北地方では、
江戸期の村の文書から地震と津波被害の
詳細を復元する研究が行われ、
家屋被害や死者数、津波の到達範囲が
かなり具体的に明らかになっています。
さらに、過去の津波碑や古文書の内容を
現代語訳し、新しい石碑として高台の神社
(現在の避難場所)に刻んで住民に伝える
といった、防災文化のアップデートも
行われています。
こうした流れは、「歴史資料を読み解き、
地域防災に活かす」という、新しい減災
アプローチの代表例と言えます。
南海トラフ地震と「事前避難」の現実味
山下准教授が強調しているのは、
「外所地震の歴史は、
将来の南海トラフ地震でも事前避難が
命を守る可能性を示している」
という点です。
もし同規模の地震と津波が
今の宮崎沿岸を襲った場合、
人口・建物・インフラは当時とは
比較にならず、死者が15人で済むことは
絶対にないだろうと専門家は
指摘しています。
一方で、現在の私たちには、
当時にはなかった武器もあります。
- 南海トラフ地震臨時情報や長期評価
- 津波ハザードマップ
- スマホの緊急速報、自治体の防災無線
- SNSを通じたリアルタイム情報共有
これらを組み合わせれば、
「前震や異常な揺れ・情報をきっかけに
自主的に高台へ避難する」という行動は、
決して非現実的ではありません。
外所地震のケースは、
「一発勝負の事前避難」
で多くの命が救われた可能性を
歴史的に示しており、
私たちが“ためらわず逃げる”ための
強い根拠になっています。
最後に
江戸時代の人たちは、
前震を感じ、家族と一緒に山へ逃げ、
その山の上で新しい命の誕生を
迎えていました。
360年以上前の「逃げる」という選択が、
今の私たちに「あなたはどうしますか?」
と問いかけているように思えて
なりません。たとえ、空振りだった
としても逃げる。これが、何よりも
今も昔も自然災害に対して人ができること
だと思います。
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バックの中に、あるという「安心」を。
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